特定非営利活動法人 杉原千畝命のビザ

理事長の挨拶

平成13年に発足しました当NPOの初代理事長は杉原千畝の妻、幸子でした。
そして、家族で杉原千畝の話を語り継ぎ、22年の歳月が経とうとしています。

杉原千畝は歴史上最も悲惨な、後年ホロコーストと称されるユダヤ人大虐殺から多くのユダヤ難民を救うために、日本通過の「命のビザ」を発給しました。幸子の著書「六千人の命のビザ」に、千畝は最終目的国の入国許可を持たない者にはビザを出すなという外務省の指示に背き、外務省を辞めさせることを覚悟して領事の権限で「命のビザ」を発給したと記されています。事実千畝は戦後帰国後GHQの指示で行われた大量の人員整理の中に含まれ、外務省を退職することを勧告されました。その結果日本は東西冷戦が厳しくなる中ロシア語を母国語のように操る有能な外交官を失い、千畝は職を転々とする戦後生活を余儀なくされました。

千畝も人間であり「命のビザ」を発給するまで悩み煩悶しましたが、最後は人道、博愛第一という強い意志で立ち向かいました。千畝は生前「人として当たり前のことをしただけ」と話しています。「命のビザ」によって助けられた難民は太平洋戦争直前に、福井県敦賀市に到着して、神戸などで一時期を過ごした後、米国、カナダ、オーストラリア、イスラエルなどに旅立ち生き延びることができました。その過程で何人かの内外の人々による、献身的な支援があったことも特筆されます。外務省外交史料館所蔵のビザ発給リストには2千人以上の名前が記載されていますが、その子孫を含めれば「命のビザ」で救われた命は,20万人とも30万人ともいわれています。
残念ながらわれわれは今なお、千畝が直面したと同様の人種差別や人の命に対する残虐な行為の報道に接します。各地で続く戦争や紛争がもたらす悲惨さ、苦しみ、悲しみが、人種、宗教、政治体制の違いを超えて、人々の寛容の心中で昇華される世界を実現するために私たちは活動を続けて参ります。
また、本年6月にイスラエルのご家族からビザ寄贈の申し出を受け、当NPOとしてもますますの努力をして参る所存でございます。
ご支援くださる皆さまには今後ともご指導ご鞭撻のほど、引き続きなにとぞよろしくお願い申し上げます。

令和5年6月吉日

NPO杉原千畝命のビザ
理事長 杉原まどか


 

NPO法人杉原千畝命のビザ
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